トップページ海外ニュース国内ニュース宗教協力世界連邦エスペラント
農・食・環境いのちを守る暮らし・文化連載・特集主張ゲストブック

 主張 Opinio

▣ 改定臓器移植法 ▣ 「脳死」の一人歩きを許すな

(2010年春号)

1997年に施行された「臓器移植法」は、〝臓器移植を行う場合に限って〟との条件付きで、「脳死」を人の死とすることを認めた。が、昨年7月の同法改定でこの規制条件が外され、〝脳死は一律に人の死〟とする内容に変わった。
 この点は、本人の生前の意思表示の扱いと並び、法改定議論の中で最大の焦点の一つとなった。移植推進派の議員らの主張は、「臓器移植法は臓器移植が対象の法律であり、その枠を超えて脳死が一般的な死の基準とされることはない」と説明していた。
 しかし、マスメディアや学校教育を通じ、「脳死は人の死」という言葉とイメージだけが一人歩きし、医療現場や社会に広がっていくことが懸念される。
 実際、同法を所管する厚生労働省自体が1月17日付で、各都道府県知事、指定都市市長、中核市市長宛に出した通達の中で、「改定後においても改定前と同様、臓器移植に関する場合だけであり、一般の医療現場で一律に脳死を人の死とするものではないこと」を関係者へ周知、広報することを求めている。
 改定臓器移植法の施行は今年の7月17日。それと前後して、脳死臓器移植の推進キャンペーンも声高になり、脳死に対する正確な知識を持たないまま、安易にドナー登録する人も出て来るだろう。こうした流れが怖い。
 脳死臓器移植は、ドナー(臓器提供者)となる脳死患者の命を絶つことで、初めて成り立つ。臓器提供を受けて助かるとされる患者に比べ、提供者の命は軽視される。家族の愛や心情についても同じ事が言えるだろう。
 改定議論中、脳死移植推進側からは、「臓器は社会資源」との主張まであった。「脳死は人の死」という誤ったイメージが拡散し定着していくなら、愛も思いやりもなく、人の命をモノ同様に扱う、荒涼とした社会の風潮を生むだろう。
 あるインターネットのサイトには、ドナーカードをめぐる質問に、次のような体験者の回答が寄せられていた。「身内が臓器提供したが、遺体の扱いで、もう絶対に提供しまいと思った。完全に単なる物としての扱いで、遺族への配慮も全くなかった。きれいごとと実際は大きく違う」。
 脳死状態を含む終末期の患者をターゲットに、「尊厳死」を法制化する動きも、脳死移植の推進論者を中心にすでにある。そこでは〝与死〟という概念さえ新造されている。
 心身の健康度、障害度によって命の価値に序列が付けられ、選別される。ついには弱者の命が強者によって排除され、利用される。日本は今、〝優生思想〟に支配され始めていると懸念する識者は多い。脳死を人の死とする発想の先に、明るい未来社会の姿は見えて来ない。
 神仏の愛は「一視同仁」であり、人もまたそうあるべきである。社会が不幸な未来へ進まないよう、改めて、脳死は人の死ではなく、脳死臓器移植は愛の行為とは言えないことを、世に広く伝えていこう。


ページトップへ
Copy Right: Jinruiaizen Shinbun