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出口王仁三郎を支えた『大地の母』

=出口王仁三郎翁顕彰会記念講演=

『大本襲撃』の著者・早瀬圭一氏が講演

昨年5月、毎日新聞社から出版され反響を呼んだ『大本襲撃〜出口すみとその時代』の著者・早瀬圭一氏(北陸学院大学副学長)が、6月21日、亀岡市の「ガレリアかめおか」で講演した。『大本襲撃』は昭和10年に起こった、日本の宗教史上最大の宗教弾圧と言われる「第2次大本事件」の実相を、大本二代教主・出口すみの生涯とともに克明に描いた。
 講演会は出口王仁三郎翁顕彰会(山田三郎会長)の主催で開かれ、早瀬氏は「出口王仁三郎を支えた『大地の母』— 『大本襲撃 出口すみとその時代』執筆を終えて —」をテーマに、二代教主・出口すみ(人類愛善会二代総裁)の人物像や、取材を通して感じたことなどを語った。

王仁三郎顕彰会

昭和10年12月8日に起こった「第2次大本事件」は、大正10年に続く、時の政府による2度目の大本弾圧であり、えん罪事件だった。
 本部役員・一般信徒が千人以上検挙され、厳しい取り調べの過程では、拷問死、自殺もあいついだ。また、裁判も行われないうちから教団施設のほぼすべてが破壊された。無罪が確定するまで約10年。その間、二代教主は事件関係者では唯一の女性被告人として獄中に入った。
 早瀬氏は、「第2次大本事件の実態はすさまじいもので、弾圧する側、された側にも、まさに“襲撃”で、当局は早い時期から大本を弾圧することを狙っていた。大本を知らない人にも読んでもらえるよう、本のタイトルにしました」という。
 二代教主については、「王仁三郎というご主人と、実母の直(なお)さんとの間に立って、ずいぶん苦労されたが、6年4カ月間の未決拘留という非凡な苦労もされた。そこまで長期に渡って獄中に入った女性は、戦前・戦後を通じてなかなかいない。出口すみさんは、開祖(出口なお)と聖師(出口王仁三郎)をつなぐ要(かなめ)のような存在だった。すみさんの存在がなかったら、今日の大本はなかったと思う」と語った。

早瀬氏
早瀬圭一氏 プロフィール
1961年毎日新聞社入社。名古屋、大阪、東京各社会部勤務などの後、特別報道部編集委員、編集局編集委員。現在は客員編集委員。龍谷大学教授、東洋英和女学院大学教授を経て、現在は北陸学院大学副学長。1982年『長い命のために』(新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。主な著書に『長い午後—女子刑務所の日々—』(毎日新聞社)、『鮨を極める』(講談社)、『また会う日まで』『銀座の達人たち』(ともに新潮社)がある。

 講演は、事件当時の写真をスクリーンに投影しながら行われた。逮捕され、移送される二代教主が微笑んでいる写真を指し、「普通の人なら笑っていられない。拘束中にボッカブリ(ゴキブリ)に話しかけたりしたなどのエピソードに、この人の持って生まれた明るさを感じる」と早瀬氏。
 早瀬氏は大本信徒ではなく、大本や大本事件についてほとんど知らなかったが、新聞社時代の上司が出口すみと同じ綾部の出身だったことが縁で、勧めを受けてこの本を執筆した。
 二代教主・すみはわずか5歳で親元を離れて奉公に出ることになり、たった一人で綾部の実家から隣の福知山までの10キロの道のりを徒歩で目指した。執筆のための取材を始めて1年経ったころその事実を知り、「どうやって歩いたのか、道をたどってみたい」と考えた。
 「その現場を実際に見たり歩いたりしてみると、“心細い”とか“がんばろう”といった、すみさんの子供のころの気持ちが直(じか)に伝わってきた気がして、その時、“書ける”と感じました」と取材当時を振り返った。
 主催者の出口王仁三郎翁顕彰会は、大本教祖で人類愛善会の創立者である出口王仁三郎師の思想や生き方に学ぼうと、市民有志によって同師の故郷・亀岡市で発足。毎年1回開かれる総会に併せて講師を招き、市民対象の記念講演会を開催している。

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